「この人を救いたい」と思いながらも方法が分からずに苦しんでいるあなたへ

抱え込んで

抱え込んで

抱え込むことで起こる腰痛の話です。
抱え込んで
※すべての腰痛がこのような機序である、
という訳ではありません。

性格的に ”抱え込む”
という方は多いでしょう。
・我慢
・忍耐
・頑張り屋さん
日本では長らくこれらは「美徳」とされてきました。

今でも美徳と言えるケースはあると思います。
一切を否定するつもりはありません。
そして抱えることが沢山出来れば出来るほど、

「優秀」

という感覚は、私にも染み付いています。

ーーー

注意して欲しいのは、
「人から喜んでもらいたい」

という他者に対する貢献の意識が動機になっている、
と思われる行動が、実は

「まわりによく思われたい」

という意識が出発になっている場合です。

するとどうでしょうか?

する行動、する行動が「まわりによく思われたい」
という意図から発しているので
いずれ破たんします。

なぜなら人間が出来ることには限界があるからです。
抱え込んで、抱え込んで、もう無理
となった時に腰痛として現れる、、
全部が全部そうではありませんが、そんな腰痛もあります。

ーーー
まわりによく思われたい
という気持ちは誰にでもあります。
しかし、他者の評価を当てにしていては、
自分自身を生きることにはなりません。
本当にしたいこと

ではなく、
まわりによく思われる
という目標に向かっていると人はどんどん苦しくなります。
それに気がついて欲しいからこそ、身体は

腰痛という形で表現を始めるのです。

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